他者の心の痛みを知ることの難しさ
自分の行動に対して、他人がどう感じているのか---それを理解することは難しいことです。しかし、その逆、つまり他人の行動について評価をすることは簡単なことです。
今日は、ある気になる他人の振る舞いを見て「何かイヤなもの」を感じたのですが、ふと思ったことは、ひょっとして自分もそういう行動をとっているのでは?ということです。この手の行動は、例えば「〜は最悪」といった直接的なものではなく、(誰にでもあるであろう)心の中にあるドロドロしたものが、ちょっぴり出てしまったように間接的なもので、不思議なことに(そしてイヤなことに)印象深く残ります。
人間を、例えば弱者と強者に分けるとします。ここでいう弱者、強者とは、ある2者間の相対的な位置関係のことです。2つに分ける力は、知識の優劣や発言力といった精神的なものとします。
こういった場合、弱者は自分を守るために強者の行動に対してとてもセンシティブになります。それに強者が気づくとは限りません。しかし、強者も自分より強いものが現れたとき、そのことを知ることになります。
決して、自分が強者だとは思いませんが、様々な関係があれば強者にも弱者になりうります。ある相手には強者、ある相手は弱者として振る舞うわけですが、まわりに弱者の痛みを知る「賢い強者」が多い場合、弱者としての痛みを知る機会はなかなかありません。
そういう意味では、今日の出来事は良い勉強の機会でした。「人の痛みを知る賢い強者」を目指して、また頑張る気力が湧いてきました。
■2006/08/22のチェック
・○ビジョンの意識
・○ビジョンにそった行動
・○回りの人を思いやっているか
・×はてブに3以上ブクマ
・×blogを書く
・○専門分野の知識を得る
・×専門外の知識を得る
・○仕事とは別に何かを作り続ける
・×ピアノの練習
・○脱・受身的ネットサーフィン宣言の遵守
関連エントリー
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:

